ガヴォット第1番ホ長調 第2楽章 ”砂塵の彼方”

芸能界の浮沈常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しび行きかひて・・・・・、ホ長調の曲にてぞ60年をふりかえらん 

徒然草第25段

shuyo2008-07-03


飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、
時うつり、事去り、樂しび・悲しび行きかひて、
花やかなりし邊も、人すまぬ野らとなり、
變らぬ住家は人あらたまりぬ。
桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らん。
まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり事變じにける樣は哀れなれ。
御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、
世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、
かばかりあせ果てむとはおぼしてんや。大門・金堂など近くまでありしかど、
正和のころ、南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、
取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、
いと尊くて竝びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、
なほあざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。これも亦、
いつまでかあらん。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、
さだかに知れる人もなし。されば、萬に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。

この段は高校生の時に読んだ記憶がない 
受験参考書に載っていなかったのか記憶に残らなかったのかわからないが

>飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり、事去り、樂しび・悲しび行きかひて、
 花やかなりし邊も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。
方丈記の ”行く川の流れは絶えずして・・・ ”に通じる部分があるように思う。
とうぜん 方丈記 のほうが成立年代が早いので 読んでいた可能性はあるでしょうね

>桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らん。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞ、いとはかなき。
桃李言わざれど 下自ら蹊を成す(桃やすももは何も言わないけどその下には人が集まって道ができる)
という言葉は漢文のほうで出てきたような記憶があるけど
桃やすももの木そのものとは話はできないけど
その下に集まってきた人同士で話はできる

ふと思ったけど ライブやイベントでメンバーそのものと話をすることはできないけれど
それが縁で知り合いになった人はたくさんいる


>萬に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ
最近環境保全や世界遺産などの話題のたびに思うのだけど
壊れたり変化していくのも含めて自然であり環境であり遺産じゃないのかな
いちぶの人にとって都合のいい状態を保つのが必ずしもいいとは限らないような気がする
どうせ焼けてしまうから とか どうせ壊れるから とか言ってたら
何も作ることができないわけだし
第7段では 限りある命だからこそ・・ のようなことを言っているのにね